言葉という魔法のツール

   

こんにちは、トミです。

書こうと思ってもなんだかんだ後回しにしてしまうそんなブログですが、開いてくださった皆様ありがとうございます。長い長いお話お付き合いください。

先日語学は需要を生むって話を更新しましたが、今回は日本語が下手になっている話をしようと思います。昨年までうちのチームの監督で今はオーナー兼アシスタントコーチDavaaさんは日本に1年住んでいたので日本語が少しできます。チームメイトとの会話は英語とモンゴル語、たまにロシア語。去年も今年も日本人がチームにいるので全く日本語を話さないというわけではありません。

 

ただ日本語はどんどん下手になっているのを感じます。Davaaさんは簡単な日本語しか話せないので僕も日本語を簡単な数個の言葉に置き換えて話をします。チーム関係者も簡単な日本語が話せたりしますが流暢ではありません。ただ日本語が少しでも通じるのは本当にありがたいこと。

 

そして細かいニュアンスやコミュニケーションは誰とでも英語で話します。なぜなら日本語がうまく組み立てられないから。昨年のシーズン途中から言葉がでなくなっているのを自分でも感じていました。友達とのメッセージの間違いを指摘されてきたり、喋っていてわからなくなってしまったり。

シーズンが終了してから日本に帰って子供達と話すときも言葉が出てこず、、、

1人の選手からは他のコーチづてに何を言っているかわからないと言われる始末。。。。。

正直高校3年でキャプテンをやっていたので週に数回100名越えの選手の前で話す機会がありいろんなエピソード話してくるよね、と褒められることもあったぐらい人前で話したり人に何かを伝えるというのが得意分野でありました。昨年は2度公演もさせていただき若いのに喋れるねと言われていたんです。

ただモンゴル語を少し使えるようになってから僕の日本語での言語化能力は急激に落ちていきました。

ある方から聞いたのですが3ヶ国語目を使えるようになってから母国語が怪しくなってくるらしいのです。

それかなと思いながら、、、

でも21年使ってきた言葉を使えなくなるなんて今でもおかしいなと思いませんか?

でもそれは事実で。

正直英語の方が考えて話すし、フランクに話すので話しやすいんです。言葉の使い分けがはっきりしているので誰にでも気兼ねなく使えます。ただ日本語ってどうでしょう。敬語であったり略語がたくさんあったり、ただし元々使ってきた言語なのであまり深く考えることなく言葉を発してしますのです。

今も言葉の暴力、パワハラなど多くの問題がネット越しに伝わってきます。今年スペイン語を本格的に学ぶようになって感じたことがあります。日本語は細かいニュアンスが多すぎる。英語のIの部分も私、俺、僕、我など言語化するとたくさん使い方があります。

それは細かいニュアンスを伝えるのにはかなり適していると思いますが多いが故に難易度も上がるわけです。実際のところ明確な使い分けのルールがあるわけではないですから。

GKの練習においてもそうです。

初めて海外に出た時に教わったTomのコーチングはかなりシンプルでした。日本のGKコーチって伝える情報が多いと思うんですよね。もちろんこれは良い意味で。

日本人の性格も言葉から作り出されてるのが多いと思います。勤勉なのも細かいところまで追求するのも言葉の成り立ちとか言葉の多さからよくわかると思うのです。

これは実際海外で暮らして感じること。

今は練習中、試合中は基本モンゴル語7、英語3ぐらいで話しています。英語しか話せない選手とコミュニケーションが取れないから。あっ日本語も1ぐらいあるか。

海外に来てから喋る量は増えても言語化する単語はかなり減ったと思います。英語においてもモンゴル語も日本語も。モンゴル人のGKは全然試合中話しません。フィールドもか。だからうるさいって言われるしずっと喋ってるから失点したら絶対相手の選手からうるせーんだよバーカみたいなこと言われてます。

でも喋るしか可能性を自分に見出せないから。しっかりと自分の守りたいように話すしか自分があのでかいゴールを守れる可能性というのはないのですから。

日常生活においてもわかる複数の単語を組み合わせるだけでなく自分のしたいこと、どう思っているかを丁寧に伝えられるようにもしっかりと言語化したくさんの単語を使わないといけないなと思います。

日本語は母国語です。このままだと英語も全然話せないのにどっちつかずになってしまいます。

言葉が話せる人間の方が絶対に信用されると思っています。

悪い意味でもありますがヒトラーが民主主義のドイツ国民を演説とともに国民を悲劇に巻き込んだのもそう。言語化でき言葉を巧みに扱える人間は信用されやすい、人に歩み寄りやすいと思うのです。

うるさいって日常生活でもサッカー中でも言われますが言葉というのはそれぐらいのパワーを持ち国民性まで作ってしまう魔法のツールだと思うのです。

もちろんそれに行動も伴わないといけないんですけどね。

だからもっともっと日本語を聞く、話すだけではなく書いて元のレベルに戻したいと思います。

読書感想文で表彰された小学生時代みたいに良い文が書けるようになりたいな。

終わり。

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